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DATE : 2019.11.03

昨日の執筆の話の続き

  昨日執筆の話を書いたが、続きがある。

 執筆の辛さだけを書いたが、それ以上に喜びがある。
 世間に自力整体が広がっていくという喜びもあるが、
 それ以上に書くことによって、自分の考えが整理され、
 新しいアイデアが生まれ、頭の中の混沌としたものが、
 はっきりと本という物質になること。

 「ああ、自分が何となく感じていたことは、言葉にするとこうい うことだったんだ」という喜びを
 書くことによって何度も味わった。
 ジグゾーパズルのピースが埋まっていく喜びなんだ。
 一冊書くたびに「賢くなった」と思ったもの。 
 研究者を引き付ける 麻薬のようなものだな。

 多くの人が、生活に流されて生きている。
 でも、私たち研究が好きな人たちは、
 日々、学んで賢くなっていく喜びを味わっている。
 そして自分が研究したことを、
 喜んで受け取ってくれる人が存在し
 その人たちをもっと喜ばせるために、
「次はこの手でやってみよう」と準備に励む。

 こういう幸せもあるのだ。

 名誉や富の獲得より幸せなのは
 自分の能力は減る心配も、盗まれる心配もない。

 これからの時代、今までの肉体的単純仕事は
 機械、AIでやれるようになるので、 
 特殊なアイデア勝負の頭脳労働者しか生き残れない。
 ますます、仕事が少なくなると思う。
 
 その為には、学校教育も変わらなければいけない。
 社会の歯車ではなく
 個性を発揮して新しいアイデアを生む人間を育てなければ。

 私が高校生の数学の時間にこう思った。
 「早く社会人になって本当に自分がやりたい勉強をしたい。
 こんな役に立たないことを習うのは嫌だ」と。

  高校時代、日本の学校は刑務所のようなものだと思った。
 はやく出所して娑婆に出て、自分が学びたい学問に出会いたい。  そう 思った。

  だから、東洋医学に出会えた時は、魂が喜んだ。

  では、また 次の機会に。
 

by 矢上 裕

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