JOURNAL

お知らせ・日記・動画など

DATE : 2019.06.18

自分の内に存在する師匠について

 サンジュというインド映画を観た。
 俳優で成功していた主人公が、いつのまにかテロリストという噂が流れ、それをマスコミが報道し人生の転落を味合うという映画だった。

 そこで噂というものについて考えた。
 私はこの噂という日本語が嫌いである。
 何故、口に尊いと書いて噂なのか。
 私であれば、口に卑しいと書くな。

 原始の時代、猛獣が人間を餌として狙っていた時代、か弱い動物である人間の歴史は群れによって、協力によって生き延びてきた。
だから自分が人から守られる存在なのか、守ってもらえない存在、いわゆる嫌われる存在になることは死を意味した。
嫌われることは群れから守られず、自動的に猛獣の餌になる運命なので、その恐怖が今の私たちの脳には深く根付いている。

いじめの「無視」なども脳の中では、「あんた守らないよ、猛獣に食われろ」というサインだから、人は周りからの無視を怖がるようになっているのだ。

その遺伝子をつないできた人類に、突然変異のように私のような、「つながり不要、孤独大好き、噂無視」という人間が世界中で現れてきた。
その人たちは、自分に啓示と直観を与えてくれる、内なる自分のマスターと繋がっているだけで満足。

実は私が30年前にヨガの世界に入門したのも、ヨガ修業によって、自分の内なるマスター(自分を導いてくれる直観の提示者)の声を聞きたいからであった。

9年間の修行を通じてそれは叶えられた。
つらかった修業時代であったが、「内なる師と出会え、導いてもらえる」という能力を習得した。

それから自分の外部に起こる全ての事に、心が揺れなくなり、
ただひたすら内なる師と相談しながら、
自力整体を発明する道へと進むだけになった。

by 矢上 裕

OTHER POSTS

その他の最新記事