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DATE : 2021.07.04

自由意思を尊重するということ

今日は友人のヨガ教室を受講してきた。

 友人は現在79歳で、週に13教室に車で出向いている現役である。

 ちなみに私は週に5教室だから、そのタフさがわかるであろう。 

ただ自分が実技をしながら誘導するのではなく座禅の姿のまま声だけでの誘導だったので、「これは年齢を経てもいけるかな」 と思った。

年を取るともちろんからだが硬くなり、実技ができなくなる。

それは仕方がないことであるが、自分が実技をしなくても言葉で誘導できるわけで、何も不自由はない。

経験を積み、誘導の仕方が上手になり、実技をしながら指導していた時よりももっとうまくなることもあるだろう。

だから、言葉の力、経験の力、相手を思いやる力、受講生を信頼させる力があれば、 実技で示すことができなくても、

十分な指導はできるのだ。

だから、ナビゲーターには、実技で見本を示すことができなくなっても、知識と経験と言葉の力で誘導できる人物になってほしいなあと思う。 

その為には知識力と人間性、いわゆる魅力がないと。

 世の中には、人を規則で縛るというやり方がある。

 お金で ひきつけるというやり方もある。

 でも、私はそういうやり方は嫌いである。

 私が提供する研修や講義などに参加を自由意思で決めることができるようにしたい。

そして、 参加を決めるのは、 私の講義内容などの面白さや、感動、魅力で勝負したい。

 なぜなら、権力による規則の縛りでは、先生がが努力しないのだ。

 自分が発信する情報を純粋に欲しがる人と付き合いたいから、より良い研修やパワーポイントを作る。

その結果、私の脳は常に活性化し、からだは若い状態に保たれる。

楽しては駄目だな。 

たとえこれ以上稼がなくてもいい年齢になっても、楽をしたら衰える。

読売新聞に四コマ漫画を提供している植田さとしさんの言葉を私は座右の銘にしている。

「私は漫画を明日以降に載せるために、書き溜めることはしません。 明日の漫画は明日に考えて書きます」

この言葉は、「一時的に頑張って書き溜めて、明日のために楽をしよう」ではなく

「一日一日、新しい自分がその日に一番必要だと思ったことを表現する」という必死さ、真剣さ、そして相手にとっての誠意という気持ちが届くのではないのかと思う。

by 矢上 裕

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